本文へスキップ



武蔵野稲門会は武蔵野市を中心とした早稲田大学OB・OGの交流の場です



早稲田大学校友会武蔵野稲門会

随想

会員からの投稿をご紹介します。
(内容について武蔵野稲門会がコミットするものではありません)


     

  HP記事・武蔵野稲門会『三水会今昔』
           
三水会座長 諸江昭雄            平成29年8月26日

 最近、早稲田学報ナンバーで調べものをしていて気が付いたことがある。何気なく毎月第三水曜日に開催している「三水会」は一体いつ始まったのか?温故知新をモット―とする座長として知っておかなければならない。学報記事によれば轟 常彌会長の時、谷内さんが校友の佐藤さん経営の吉祥寺第一ホテル前「カヤシマ」にて毎月第三木曜日に稲門の飲み会「月例歓談会」を開催しようと決心された、とある。その第1回は.2008年(平成20年)9月19日木曜日。以降2010年から開催日は第三水曜日なり、飲み会の名称も「三水会」と変わって仲間も増え場所も変わり、凡そ9年間飲み会は休むことなく続き今日にいたっている。  
 2008年といえば、米国の証券会社リーマンブラザーズが倒産し株価大暴落を機に世間が騒がしくなった頃であるが、僕は当時千葉市に住んでいて「千葉稲門会三水会」に皆勤していたので「武蔵野三水会」発足には立ち会っていないが、翌年2009年に縁あって武蔵野市に転居したのを切っ掛けに同年6月6日総会に新入会員として遅いデビューを果たした。  
 その年の7月16日、初めて誘われて参加した「月例歓談会」の後吉祥寺駅プラットフォームで倒れそのまま武蔵野日赤病院で心臓にペースメーカーを埋みこみ19日には退院、回復を待って8月25日開催の納涼会に出席、暮れの12月5日には武蔵野ラグビー祭りに参加、翌年には4月18日の早慶レガッタ応援に駆け付けるほど体調が戻ったが、臙脂色の早稲田カラーが僕の特効薬かもしれない。
 「月例歓談会」の発足当時にお世話になった諸先輩の中には旅発たれた方、無理の効かなくなった方、転居された方等々思い出も多いが自分もいつか辿る道、感傷に耽っている暇はない。来年は「三水会」発足10年の節目を迎える。多くの後輩が集まる「若手の会」も盛んなようで頼もしい。新しい脈動を感じるこの頃である。
 

    





早稲田大学名誉教授・法学博士
  佐藤英(ひで)善(たけ)先生(元副総長)と語る!

もろえ あきお           
諸江 昭雄(1963・法)            2016.3.10.掲載

 2016年2月29日(月)の閏日、小金井市在住の佐藤英善先生と話をする機会を得ました。筆者と同じ昭和38年(1963年)卒、法学研究科博士課程終了後、助手・専任講師・助教授を経て教授(‘77)、現在本学の名誉教授・法学博士(LL.D.)、名誉賛助員を勤めておられます。最近は身辺資料の<断捨離>を進めている由承り、学内職歴の中で精力を傾けた副総長時代のスポーツ振興の話をして頂きました。奥島孝康第14代総長時代、創立125周年(大隈の人生125歳説)志立大学、建学の精神への回帰、早稲田祭中止、副総長就任後の早実創立100周年と国分寺への移転、新学生会館の建設、杉原千畝生誕100年行事の推進とリトアニア訪問等々に加え、筆者が殊に興味を持つラグビー蹴球部部長時代の清宮監督招請活動等、社会人から大学へ人材を受け入れる際の交渉経緯等を聞き、早稲田の柱の一つ<スポーツ振興>の苦労話には身を乗り出して聞き入りました。
正に、早稲田大学改革の疾風怒涛の時代を駆け抜けて来られた同窓を誇りに思います。

参加校友
佐藤英善先生(1963法)、鴛海量良(1962政経)、輿水 敦(1971政経)、山口光朗(1970政経)、諸江昭雄(1963法)
 

写真をクリックすると拡大します
(鴛海量良 写真)

【写真左から、山口、佐藤先生、諸江、輿水、鴛海】




早稲田界隈ぶらり散策[名物蕎麦屋 三朝庵]
かたおか とうり           
片岡 冬里(1970・理工)           2015.10.10.掲載

 2015年10月3日(土)、久しぶりの秋晴れの中、朝の11:00より大隈会館にて、とある早稲田の集りの総会があり、格調の高い講演と和やかな懇親会を過ごした後、ほろ酔い気分で懐かしい界隈を散策、ふと最近シャッターを閉めていることが多い名物蕎麦屋[三朝庵]へ行ってみよう!、ということとなった。
 久しぶりで、営業中の店に入り、ビールを飲み初めたところ、恰幅の良い高齢の女性に接待頂き、話はじめたところなんと四代目三朝庵女将!、と言う。
 早稲田界隈の変遷、大学との深い関わり、学生や教授たちの裏話、三朝庵の名前の由来、などを絡めた蕎麦屋の歴史を極めて詳しく語り出したのには、一堂感激、一気に盛上った。
 早稲田通を誰もが認める諸江先輩を捕まえて、"あんた、結構詳しいね!"と豪語する。
嫁いで来て姑に仕え、一生かけて三朝庵を守り抜いてきた女将、主人は遊び人、ある日銭湯へ行く、と言って手拭いと盥を持って出かけ、そのまま二年間帰らず、丁度二年後に、出かけた時とおなじ姿で帰宅した主人に、何も聞かずに、"お帰りなさい!"と言ったと言う。
 いくらなんでも、妾宅で過ごしていたことは明らか!、顔色変えずとも、心の中は般若、では?!、との質問に、女遊びは男の甲斐性、嫁いだからには家、商売が大切、姑に鍛えられ、それを嫁に伝えて行くのに必死で頑張ってきた、嫉妬など感じた事もない!、と真顔で言う。
迫力ある実話の数々に圧倒された。
 最近の学生は、蕎麦屋などには来てくれない!、専らコンビニだ、来店するのは、昔を懐かしむOBばかり、15:30に、もう今日は閉店!、と言う。
 酔いも廻って、更に気分良く、次の飲み会へ向かったが、楽しかった反面、一抹の寂しさを感じた次第。

参加者(敬称略)
田坂、諸江、片岡、鴛海(立川)、太田(小田原)


写真をクリックすると拡大します




新国立競技場の「自転車ヘルメット」デザインで揺れた日本
やまもと ふじお
山本 富士雄 (昭34・理工)         2015.7.24.掲載


2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設をめぐり、 大きなアーチを備えたザハ・ハディド氏の現行のデザインが当初予想よりもはるかに費用がかかることなどから、建設を進めるべきか議論が続き、過日安倍総理がすべて白紙撤回してやり直すことを表明した。
 イラク出身のハディド氏の超モダンなデザインは国際コンペで選ばれた。だが、従来の競技場に比べ非常に規模が大きく建築費もかかるものだったため、当初から厳しい批判があり、「自転車用のヘルメット」のようなデザインだと揶揄(やゆ)されてきた。また旧国立競技場の解体の遅れや、資材費と建設費の高騰といった問題も発生した。
 プリツカー賞受賞者で東京体育館などの設計で知られる槇文彦氏らのグループは、ハディド案から特徴的なアーチを取り去り、建設費を削減する案を提唱。最大の問題はコストと建設期間の長さだとの見方を示した。また、テンプル大学のジェフリー・キングストン教授は、旧国立競技場を改修して使うべきだと主張。
「これほど大きな競技場が必要となるイベントなどほとんどない」と指摘した。
 私は当初から一建築家として批判的な発言を続けてきたが、この決定を歓迎する。「デザインビルド=設計施工」ではなく、できるだけ建築家がイニシャチヴを取り建築家と大手ゼネコンのコラボチームのコンペでやってほしい。
この問題の責任問題をいい加減にせず、責任体制をしっかり確立させて、アスリートが使いやすく、観衆の避難誘導の安全安心を確保した後世に残る日本人の設計になる名建築ができることを期待したい。


エベレストの魅力と写真集
やました ともかず           
山下 倫一 (昭46・商)

2012 年11 月2 日から3 週間かけてネパールのゴーキョピーク(5,360m)に行ってきました。その後、その体験を今年の3 月に「世界最高峰を見る一人旅」として本にまとめ自費出版いたしました。
 山の経験もない私が、何故60 歳を過ぎてこの一人旅を実行したのか?
理由は単純です。「この目でエベレストを一度見てみたい」との思いからです。仕事も一段落し、行くなら今でしょ!−との思いが募り準備に入りました。
 手始めに7 月末に富士山に登ってみました。思ったより楽に登頂できました。以来、毎週山歩きするなどトレーニングを積み4 ヶ月後にヒマラヤへ向かいました。
 カトマンズから飛行機でルクラ(2,840m)へ。ルクラからゴーキョピークまで高度差2,520m。自分の足で歩く以外に行けません。片道約1 週間、毎日4〜5時間、ゆっくり登っていきます。途中、高山病にもならず目的地に到着。その日は天気も良く、頂上からの眺めは360 度。ヒマラヤの山々が連なる大パノラマの中にエベレストを始め4つの8,000m 峰を見ることが出来ました。忘れられない光景です。
 帰ってから撮った写真を中心に依頼されるままに何カ所かでこの体験を話したところ「面白いので本にしろ」と勧められまとめたものです。出版の作業、これも初めての体験でした。ヒマラヤの山岳写真集は数え切れないほどありますので、前半は一人旅で出会った人々やその生活が感じられる写真を中心に。後半はカトマンズを出てから帰るまでの中で見たり聞いたり考えたこと、高山病対策、帰りの飛行機が飛ばなくなるなど様々な出来事を日記風に記してみました。
 出版後、朝日新聞が記事として取り上げてくださったり 「ケーブルテレビ」「むさしのFM」等から出演依頼が来たりと、様々な体験をさせていただいています。
 これからも思い立ったら迷わず実行する、という気持ちで日々過ごしていきたいものです。
(正面がエベレスト。右がローチェ)

「ワイン・エキスパート」試験に合格!

こむろ いたる
小室 至 (昭46・商)

 昨年、日本ソムリエ協会主催 「ワイン・エキスパート」試験に合格しました。
ソムリエはレストランに5年以上勤務していないと受験資格がありません。
 エキスパートは仕事のためではなく、ワイン好きでワインの知識を広め、世界のワインを楽しみたい人が取る資格です。一次試験は筆記、二次試験はテイスティング(白ワイン2種類、赤ワイン2種類、リキュール、スピリッツ、ウイスキー、ブランデー、焼酎、日本酒、食後酒等、ワインでないアルコール飲料から2種類、計6種類の特徴、葡萄の種類、アルコールの種類を解答)で合否が決まります。
 私は学生時代、ウィーンに留学し白ワインと出会い、赤ワインは会社(商社)に入って、ロス・アンジェルスに出張に行った際に「ラ・ターシュ」というフランスの赤ワインを飲んだのが出会いです。この「ラ・ターシュ」のエレガントで華やかな香り、ビロードのようなやわらかな飲み心地に心を奪われました。ワインの美味しさを実感した瞬間でした。その後、イタリア・ミラノに5 年、イギリス・ロンドンに3年海外駐在、出張した国の数、何十か国、国内は岡山に3年半、ワインを飲む機会に恵まれました。また、ワインに関する蔵書も50 冊以上になりました。定年後、ワインのことをもっと知りたくて、高円寺にあるワインスクールで入門編から勉強。しかし入門編で終わるのも如何かと、受験勉強を経て資格を取ったのでした。
今では、ブドウ作りと醸造、テイスティングの仕方、飲み方、選び方などが身につき、より楽しいワイン・ライフを過ごしています。副産物は、なんといってもワインスクールの仲間達との出会い、素晴らしい仲間達です。
 お勧めの赤ワインは、チリの「モンテス・アルファ」(1810円)、「カッシエロ・デル・ディアブロ」(1275 円)のカベルネ・ソーヴィ二ヨンかメルローです。お試し下さい。