世話人:川崎 大八
諸江 昭雄
◆年間スケジュール
・1月2,3日 関東大学箱根駅伝
・4月第二日曜日 早慶レガッタ
・春、秋 東京六大学野球 早慶戦
・12月第一日曜日 早明ラグビー
◆会費 : --
◎スポーツ好きな会員の参加を希望します申し込みは世話人まで。
■次回予定
・
武蔵野稲門会会員の皆様 東京六大学野球 伝統の早慶戦 秋季第1戦 TV応援会のお誘いです。 早稲田は10月22日現在、 勝率.889で1位と絶好調。2位 明治に2勝の差をつけています。
https://www.big6.gr.jp/game/league/2024a/2024a_schedule.html
◆東京六大学野球 伝統の早慶戦 秋季第1戦 TV応援会
◇日時 2024年11月9日(土) 13:40~(13時開始ですが、コミセン利用時間が13:30からのため)
◇会場 西久保コミセン 第1会議室 〒180-0013 武蔵野市西久保1-23-7 電話0422-54-8990
◇お申込み →世話人・杉原へショートメールで11月5日(火)までにご連絡のうえ、会場へお越しください。
(事務局田坂 記)
ここのところ早稲田スポーツは弱いから“伝統の早稲田”としか言われない。 新年早々の箱根駅伝シード落ち、野球も再建中ではこういわれても仕方がない。この状況でラグビーは対抗戦全勝で勝ち進み明治と対戦することになった。一点の光のように期待は大きかった。下馬評はやや明治が有利のようだったが応援する会は気にしなかった。
というのは昭和37年対抗戦Bに落ちた早稲田がA全勝の明治を17-8で破ったという不思議な尊い貴重な歴史を知っていたからだ(当時早稲田は部員30名。よく勝った)。
今年の切符は9月には売り切れで手に入らない。NHK総合やJスポーツでTV観戦後皆で感想会を催すことにした。ただ“勝っても負けても”の冠をつけたのは明治の戦いぶりが数年前の帝京に似ているように感じがして弱気になったためで二度と愚かなことはすまいと今になって反省している。
試合は前半頑張った。戎ビアホールに集まったのは6名。谷内さんがテキパキ進めてくれた。“早稲田の展開ラグビーの本領が発揮されなかった。中野の欠場も痛かった。次の来年1月の新国立競技場での大学選手権ではフォワードが頑張ってバックスが本領発揮して明治を倒す。そうなれば早稲田が明治に負けたといわれるのはこの12月の1カ月だけでその後1年間は早稲田が明治に勝って優勝したと称賛され続ける。”が結論。
焼き鳥はもちろん酒は美味かった。何より皆の話が面白い。(川崎大八 記)
(参加者: 鈴木、諸江、後藤、上条、谷内、川崎)
1. 箱根駅伝予選会応援 10月26日(土)昭和記念公園で来年正月の箱根駅伝出場を決める予選会を応援した。コースは昭和記念公園自衛隊立川駐屯地から立川市内して昭和記念公園に戻る20km。枠は10校。スタート40分前昭和記念公園会場に着いた。人垣のためトラック沿いで応援することができない混雑ぶりなので各校チアガールをまじえて応援をチラッと観てゴール手前1km地点へ移動して走りくる選手を待つことにした。スタート時刻が過ぎて暫くして選手集合会場設置のTV大画面で「早稲田どうしたのでしょう」というアナウンサーの声が聞こえてきた。暫くして先ず他校の留学生達が凄いスピードで走り去ったあとに続いて先頭集団がやってきた。遅れて早稲田の太田智樹キャプテンが来た。必死の形相。でも早稲田は後が続かない。ばらばらとなって早稲田の選手が来るたびにゼッケン番号を見ては”ナオキ頑張れ!”などと選手の個人名を読んで応援した。結局早稲田は9位で通過した。各校は粒揃い。 予選会応援は初めてだったが会場に向かう途中、予選会案内マップや小旗を無料配布するし予選冊子も手に入った。早稲田ほど各支部をはじめ幡を掲げて参加した大学はない。今春の週刊東洋経済や週刊ダイヤモンドの早慶特集号が品切れになった。早稲田の人気ぶりを改めて実感した。
2. 野球秋季リーグ戦早慶第一回戦を応援 慶應の10戦全勝、完全優勝がかかった早慶戦だった。だが。私は”弱い方が勝つ”早慶戦100年の鉄則が今年ほど生かされる年はないと思っていた。というわけで11月2日(土)11時45分吉祥寺駅2番ホーム三鷹寄りから神宮球場に向かった。慶應の三塁側は満員。早稲田の一塁側はガラガラ。外野席応援席は誰一人としていない。優勝が懸かっていないこともあるがスポーツに関心が薄れていく早稲田の現状を示していた。試合は7回まで2-1とほぼ互角だった。エース早川が降板して試合が崩れた。”早稲田の栄光”は歌えないと思いながら懇親会場戎ビアホールに向かった。懇親会はめいめい好きな酒を飲みながら甲子園の高校野球で審判を経験された布施さんの体験談を伺った。”審判はボールの高低よりもコースの判定に個性が出る。良い投手程審判の癖を見抜いてどんどん投げてくる。”等々。あっという間に3時間経過した。当日は早稲田は後れをとったが結局連勝して早稲田が勝ち点を挙げ”早慶戦は弱い方が勝つ”を実証した。
WCラグビー決勝戦の時間帯が重なっていたのに早慶戦を優先して参加された皆様に感謝申し上げます。(川崎大八 記)
参加者 (順不同): )小美濃 布施(三鷹稲門会) 轟 上条 吉井 高橋 川崎
-新春箱根駅伝(往路)-権太坂で応援
毎年、新年を迎えての早稲田をもっと応援する会の活動は箱根駅伝”権太坂で応援”から始まる。例年新春の箱根駅伝は特に待ち遠しい。今年も1月2日朝6時半前には吉祥寺駅を出発して保土谷に向かった。
8時過ぎには権太坂に到着してTVカメラアングルに一番写りの良い場所を確保してのぼり旗をたてる準備に取り掛かった。風は冷たかったが早稲田の校歌応援歌のCDをバックに唱和しながらの作業は不思議と寒さが和らいだ。旗をたて終わったころ読売と報知の出場校が載っている赤と緑の小旗が配られ、パトーカーの”間もなく選手が通りますから旗を倒さないでください”のアナウンスがあって、ほどなくして選手を追っているヘリコプターの音が聞こえてきた。
先頭の2人のすぐ後に7~8人の集団が見えてきた。早稲田を探すが姿が見えない。赤いユニフォームは他校の選手だった。次々と選手が通り過ぎていったがまだ来ない。
どうした?転んで怪我をしたらしい、と周りの人の声。しばらくしてやっと早稲田の選手が来た。太田君は調子を上げてきているはずだったが。18位で通過した。苦しそうな表情はしていなかった。
早稲田の長い歴史にはこういうこともある。
1区で転んだのは大東文化大学の選手で大きく遅れた2区の同校の選手が最後に通りすぎるまで沿道の人たちはじっと待っていて懸命に走る彼に大きな声援を送った。
今年の早稲田は例年になくマスコミの扱いが地味だった。他校は”5連覇なるか”とか”平成の常勝集団”そして”しなやかに強く頂点を走る”とやたらに元気。わが早稲田は”プライドが育むもの”とやや後ろ向きの静かなものだった。結局シード落ちした。捲土重来を期待する。 (川崎大八 記)
第一戦を落として優勝はなくなったが「早慶戦は勝つ」。この目標に向かう早稲田野球部への我々の信頼は些かも揺るぎない。「早稲田をもっと応援する会」に参加の4名は10月28日(日)正午吉祥寺駅に集合した。女性は上下の装いを早稲田カラー一色に見事に決めてきたし男性達は早稲田の野球帽で早慶戦に想いを込めたものだった。「今日は勝つ」と念じつつ快晴の神宮球場に向かった。球場は満員で皆揃って応援することができないので空いた席から各人応援することとなった。
試合は四番加藤の痛烈な右中間二塁打を契機に連打で一気に5点を得点して“打棒早稲田”の伝統を示し、西垣、早川、今西の投手陣も頑張り慶應を抑えて勝利した。早稲田を称える「早稲田の栄光」を聞きつつ、明日は大学左腕ナンバ一ワン小島が本来の投球をすれば殆ど打たれることはないだろうから早稲田は勝つと話しながら懇親会場へ向かった。懇親会場では小美濃さん谷内さんはじめTV応援した会員が笑顔で我々を迎えてくれた。
早稲田の勝利を料理と飲み放題のお酒で勝利を祝った。秋本先輩もお見えになって一段と盛り上がり、話は野球の勝利から始まってラグビー、駅伝、果ては安部首相、マルクス、ピルズベリーまで及びあたかも学生時代に戻ったような懇親会となった。〆は校歌を前奏から唱和してOB会の楽しさを堪能した。
(川崎大八 記)
参加者 (順不同): 福田晴美 高橋清 小美濃隆 上条節夫 小倉卓雄 吉井滋 布施雅男 秋本光男 谷内隆衛 山口光朗 川崎大八
1月3日復路、午後12:30頃のゴール直前の日本橋は榮太郎本舗日本橋本店の前、各大学の旗や幟が犇めき合い、ごった返す沿道を掻き分けて三々五々集合する。
昨日の往路、期待されていた2区のエースランナー永山博基(2年生)が絶不調、平凡なタイムで走り抜けたため、往路優勝を逃した。しかし、優勝の青学との差は僅か33秒、立派な準優勝であった。
本日も朝の箱根スタートから順調に襷を繋ぎ、日本橋に集合した時には事前情報にて、5区から8区まで依然として2位をキープしている頼もしい早稲田の力走である。しかし、肝心のトップ青学との差は徐々に広がり続け、早稲田の優勝はほぼ絶望的であった。
青学や明治などの旗、幟が犇めく沿道でせめて準優勝を、との期待を胸に一同ひたすら待つこと約1時間。
軈て銀座方面の上空に、報道ヘリの轟音が響き始めて間もなくトップの青学が絶対王者の風格、余裕の笑顔で颯爽と走り抜ける。圧倒されたのは沿道応援の超大群衆、天晴れ?、としか評し切れない完璧な走りとはこれか、と思い知らされる。
遅れること7分余り、早稲田は9区で東洋に抜かれ、期待のアンカー清水歓太(2年生)の追い上げも敵わず、我々の最後の声援も虚しく、残念ながら3位でのゴールであった。だがここ数年の実績に比べれば、今年の健闘は大いに讃えるべきであろう。
打上げは毎年恒例、中央稲門会主催の「勝っても負けても祝勝会」に合流参加、会場の銀座東武ホテルにて都内様々な稲門同窓との歓談、中でも圧巻は、早稲田競走部現役時代に4年間、毎年箱根駅伝の10区を任されたという豪傑、滝川哲也氏の熱い講演であった。最後は、全員で校歌を高らかに歌い上げ、来年の再会を誓って散会。
本年も、両日ともに素晴らしい晴天に恵まれ、清々しい駅伝応援会であった。
(片岡冬里 記)
参加者 (順不同)諸江昭雄、中山美代子、福田晴美、小野沢純一、篠原哲(夫人、長女同伴)、片岡冬里
新年は権太坂から始まる。今年の早稲田は評判が高い。年末のTV放送で青山と並んで”マークするのは早稲田”と駒沢、東洋、青山等の出場校の監督からあげられていたので大いに期待した。大みそかには諸江さんからメールで権太坂参加予定者5名の名簿が届き例年になく武蔵野稲門会関係者が多く私も1月2日の箱根駅伝応援に気合いを入れて当日午前6時45分吉祥寺駅集合のつもりでいた。ところが寝過ごしてしまい保土ヶ谷駅に着いた時は沿道に各校の幡が靡き読売の小旗を持った人垣ができていた。交通もストップで権太坂には行けないので保土ヶ谷駅前で選手を応援することとした。ヘリコプターの音が聞えパトーカーがもうすぐ選手が来ますの知らせがあってほどなく先週の先頭集団が来た。そのなかに早稲田の永山君がいた。すごいスピードだ。ワセダ、ワセダ、ワ
セダ、ワセダ!永山頑張れ!と応援した。4回名前を呼んだのはベート ーベン第五の運命に合わせたからだ。10分も経たずに国学院の選手が過ぎると駅伝の余韻を残しながら人々は帰途に就いた。私の脇に居た人が「私は早稲田から来ました」と言うので「今年は評判が高いようで楽しみですね」と言葉を交わし握手してから権太坂に向かった。駅前では駅に向かう人々を迎えるような太鼓が打ち鳴らされていた。
(川崎大八 記)
(参加者)福田晴美、諸江昭雄、片岡冬里、篠原 哲、小野沢純一、川崎大八
2016年4月17日の当日、予想通りの風雨悪天候にも拘わらず午前中からレガッタは決行されたが、昼頃からの強風に、14:30、観戦会有志が言問橋に集合した時にはレースは既に中断されていた。しかし、最終レースは強行されるとの報により、「あさひビール本社ビル最上階の会場から観戦することとした。
いよいよ最後の対校エイト、早慶ほぼ互角に川下から眼下に遡上、駒形橋付近にさしかかった時にハプニングは起きた? 一同が固唾を飲んで見守る中、折からの強風による高波を被り、並んでいた早稲田の艇が水没を始めたのだ。それを後ろに見た慶応クルーは、余裕をもって漕ぐのを止め、艇内の水を汲み出し、再び悠々と漕ぎ始めて残りの1km、吾妻橋、言問橋を抜けて桜橋のゴールへ辿り着いたのである。
未だ興奮冷めやらぬ観戦会の面々に、懇親会の席上、谷内先輩が、丁度60年前にも吾妻橋辺りで、同じことが起こり、今回とは逆に慶應が水没、早稲田が漕手の半数を水汲み出しに使いゴールまで辿り着いたことを解説。
当時の早稲田、漕手全員で漕がなかったからノーゲームにしよう、と慶應へ提言するも、慶應は、ゴールできなかったから、負けは敗けだ?、とお互いに譲る美談となった由。
この解説をきっかけに、懇親会は大いに盛上り、気が付けば満席の58名、談論風発、最後は早稲田の応援歌、校歌を高らかに歌い上げ、過去最多の参加者全員が満面の笑顔、別れを惜しむように散会した。 三水会/稲酔会合同開催
(片岡 冬里 記、鈴木 徹 写真)
4月17日(日)開催の第85回早慶レガッタの公認HPがオープンしました。
写真をクリックするとHPが開きます
<往路応援記>
今年も例年通り権太坂で箱根駅伝を応援した。もっと早稲田を応援する会は4名参加した。8時に保土ヶ谷に着くと、今年は、例年とチョット雰囲気が違っていた。商店会の振る舞い酒の用意がないばかりか、すでに街道沿いに林立しているはずの各大学の旗もまだなく沿道の人影もまばらでしかも権太坂のいつもの場所は(TV映りが良いから早稲田は午前5時には確保するのだが)、隣組のはずの神奈川大、日本大の応援旗がなかくガランとしていた。だが、我々が全国に広く知られて第二の国歌?と一部で言われている早稲田の校歌を聞きながら早稲田の応援の旗を準備していると沿道の人から声をかけられた。花の2区を走る早稲田のキャプテン高田君の中学時代の恩師がわざわざ鹿児島から駆けつけてきて「リトルリーグの選手だった高田君を陸上に薦めたが彼は口数は少ないが背中で周りを牽引していたので今日も頑張ってくれるはず」とのことであったし、女優広末涼子も小さいときこの権太坂で早稲田を応援していたと広末涼子似の姪の方が話をしながら我々と並んで選手の到来を待った。大手町をスタートして1時間近くたつとヘリコプター近づいてきてパトカーが選手の到来を告げ読売新聞が応援の小旗を沿道の人に配布して神奈川県警の先導オートバイが過ぎると選手の息遣いが聞こえてきた。相変わらず青山が強く、続いて東洋、山梨、駒沢といった先頭集団にちょっと遅れた集団のあとをやや離されて早稲田のキャプテン高田君が必死に走っていた。その間わずか何秒というあっという間の間隔だった。彼は昨年はこの花の二区で区間賞をとったのだが今年は思わぬ苦戦だった。しかし、最終的には早稲田は皆頑張って往路5位という好成績だった。いつも思うが選手のひたむきな姿に触れるとどの大学も頑張れと応援したくなる。ラストの法政が走りすぎると静寂に戻り人影がまばらになり我々は後片付けを始めた。健康に気をつけて来年もこの場所で早稲田を応援したいと思った。
(川崎 大八 記)
(参加者)諸江昭雄、片岡冬里、小野沢純一、川崎大八
<復路応援記>
1月3日、快晴、例年に比べ 稍日差しが強い。前日の権太坂応援の余韻も覚めぬまま日本橋に仲間と集まる。足立稲門会、中央稲門会、杉並稲門会の応援団と新年の挨拶。待つこと暫し、頭上に報道ヘリのホバリングの音、お隣りの青山学院の応援団から大歓声が上がる。青学カラーのランニングが走り去る。いきなり明治大学応援団のリーダーの一人が檄を垂れ「白雲なびく駿河台」を歌い始める。早稲田は静かに待つ。凡そ14分遅れで臙脂のランニングが目前を走り三越手前を左折する。各校選手全員箱根から無事に帰投した。早稲田は4位
、立派な成績だ。沿道の人並が崩れ夫々新年会会場に急ぐ。銀座マリオット東武ホテルにて、恒例の中央稲門会主催「勝っても負けても祝勝会」に参加、今年の出し物・ワセダのフラダンスに大喝采。連日駅伝応援のため集まった「早稲田を応援する会」の皆さんご苦労さんでした。
(諸江 昭雄 記)
(参加者)片岡冬里、小野沢純一、詫摩太郎、小野寺 敏、鈴木 徹、諸江昭雄
今秋の早慶戦応援で嬉しいことがふたつあった。
ひとつは早稲田が慶応に勝ち優勝したこと。もうひとつは他の稲門会の方がこの「もっと早稲田を応援する会」の記事を学報で読まれて今回初めて応援に参加されたのを機会に武蔵野稲門会に入会されたことである。
明治に連敗したとき「矢張り明治は強い。早稲田の連覇は無理だ。」と思った。ところが4年生を中心にした今年のチームは少ない安打を得点に結び付けて立教、法政を連破して早慶戦に勝ち点を挙げれば優勝というところまで持ち込んだ。明治は勝てば優勝との大一番に法政の意地のスクイズに敗れたという僥倖に早稲田が恵まれたことも背景にあるが。当日、吉祥寺駅では目立つようにと早稲田の座布団帽子を被って待ち合わせをして総武線に乗って神宮球場に向かった。球場では勢いをつけるためにと秋本先輩が参加者に日本酒を振る舞ってくれた。試合は2-1で勝った。今シーズンを象徴するような早稲田ナインの粘り強い気持ちでチャンスをものにしたように見えた。祝勝会は吉祥寺の戎ビアホールで20名を超える参加者が美味しい焼き鳥を中心に盛会だった。初参加の方が3名おられてつくづく稲門の一員であることに幸せを感じた。
(川崎大八 記)
参加者
秋本光雄、上条節夫、田坂忠俊、轟 常弥、茂木達四郎、川崎大八、井上良一、 渡邉克彦(初参加)、谷内隆衛、諸江昭雄、片岡冬里、徳田直子、佐川素子、東出重幸、高橋 清、小美濃隆、町田 顕、小倉卓雄、小野寺 敏(初参加・推薦校友・医師)、田中寿三郎(初参加・教育2年) (計20名)
4月19日(日)、今年の桜もすっかり散って、八重桜がチラホラ残る隅田川河畔に46名の稲門が集結、早慶レガッタ「華の対抗エイト」早稲田四年ぶりの優勝を信じて応援した。吾妻橋組、言問橋組、桜橋ゴール組、更には懇親会場アサヒビール本社ゲストルームのガラス窓越しに眼下のレースを優雅に声援したようだ。レースの結果は、ワセダ先着ゴールの後コースルール違反による判定負け。勝負に勝って試合に負けた、負けは負けだがまあ良いではないか。武蔵野稲門会は「勝っても負けても祝勝会」をモットーとするから懇親会は谷内先輩の名司会で軽やかにスタート。先ずは会場の手配に尽力して頂いた、岡田元アサヒビール専務に感謝、立川稲酔会会長・長野先輩の短くない挨拶、さらに食事の合間を縫って参加メンバーの一言(早稲田ですから二言、三言も居りました!)美味しいイタリアン料理とアサヒのビール、ニッカウィスキー(竹鶴・余市)ワインは飲み放題でした
がデザートの桜餅も絶品でした。パーティーも終わるころ中町在の一人の女性が会場を覗き、片岡君が声を掛けてその場で武蔵野稲門会に入会するハップニングもありました。夕暮れ迫る中、平成卒・野本君が若々しく校歌をリード、病癒えた片岡君の掛け声、最後は座長のエールで閉会。側聞ですが二次会は浅草の穴場飲み屋の畳の上で粘ったようでした。
来年こそ、「勝って祝勝会」をしようではありませんか!
(諸江昭雄 記)
(写真:鴛海量良[立川稲門会])
参加者
1.武蔵野稲門会(三水会、応援する会、他)関係者
(男性)秋本光男、井上良一、牛込秀三、小野沢純一、小美濃隆、梶塚謙、片岡冬里、上條節夫、川上宏三、栗原裕、小松原寛、鈴木武、須田晃也、田坂忠俊、谷内隆衛、東出重幸、轟常弥、中野哲夫、中島未明、野本好朗、前島俊吉、町田顕、茂木達四郎、諸江昭雄、山口和夫、吉井滋、和山忠朗、・・・27名
(女性)佐川素子、德田直子、野村洋子、福田晴美、・・・4名
2.立川稲酔会関係者
(男性)上野竜造、岡田正昭、鴛海量良、石澤一郎、佐竹茂市郎、堤清、長野長正、西田雅彦、横山重文、・・・10名
(女性)亀井裕子、・・・1名
3.その他
松本賢悟、他3名、・・・4名
以上、男性39名、女性7名、総計46名
アサヒビール本社・ゲストルームにて (Photo:岡本周造 氏) |
吉井、谷内、鈴木武の諸氏 |
和山、片岡、轟の諸氏 |
山口、栗原の諸氏 |
中島、高橋、東出の諸氏 |
一言ずつどうそ! |
校歌リードは野本さん |
全員で、拳を右→左→右→左 |
町田、小松原、梶塚、德田、福田の諸氏 |
二次会も盛り上がりました |
2015年1月2日、恒例の新春箱根駅伝往路応援に出掛けた。今回は毎年一緒に
出掛ける川崎大八氏が休んだが、駅伝の大ファン、中山美代子さんに田坂忠
俊、野本好朗の両氏を加え4人で花の2区「権太坂」応援をした。
早朝8時前、冷えるJR保土ヶ谷駅に集合しバスで権太坂頂上に向かう。
駅前から坂上までの国道は各大学の場所取りと幟立ての準備で人が溢れる。
権太坂のてっぺんは、在住校友が早朝から一家総出で場所を確保し出迎えてく
れる。早稲田大学春秋会の幟が20メートルはためき、名も知らぬ校友も沿道に
立つ。この一体感が堪らない!鉢巻、CDラジカセ、法被の用意、暖を取る為の
お神酒も少々、さあ来いと待つこと暫し、頭上にヘリコプターの音が迫り、
坂下から津波のような歓声と共に先導パトカーとバイクに続いて選手が来る。
早稲田の選手を探す中、来た来た!僅差で5位集団のトップを走る。汗でランニ
ングはびっしょりだ。沿道から都の西北が湧きあがる。心なしか選手が頭を上
げる!行け、富士の霊峰へ!と後姿を目で追いレースの余韻を楽しむ新年会、
来年の再会を誓い合う。
翌3日、前日に小田原中継所で応援を終えた片岡冬里氏と二人恒例の日本橋
側、西川の前で復路応援、歩道は一杯で身動きできない。青山学院の黄緑色の
幟が大きく波打つ。皆興奮し中には涙する者もいる。気持ちが痛いほど判る。
3年前の早稲田がそうだった。
早稲田の隣は明治、静かな早稲田とは対照的に駿河台を大声で斉唱する。
檄を垂れるOBの声に沿道が湧く。喧噪が去った後、片岡氏と銀座のホテルで
「勝っても負けても祝勝会」に出席、現役女子学生の「ちんどん屋研」興行で
癒された。中央・千代田稲門会主催で毎年3日に開く会であるが、何故か新年の
校歌リードを仰せつかった私でした。
(諸江昭雄 記)
参加者(あ順敬省略)
田坂忠俊、中山美代子、野本好朗、片岡冬里、諸江昭雄
12月7日(日)12時40分 吉祥寺駅に集合し 9名で秩父宮ラグビー場へ向
かった。ラグビー場は入り口からごった返しており、チケットを引き換えてい
るうちにはぐれてしまった。 どうにか再集合して観客席へ。2万2千人収容
のスタンドは早明のOBなどのファンでほぼ満員。 両校校歌斉唱の後2時
キックオフ。下馬評通り 早稲田の動きが鈍い。我ら一堂意気消沈。 明治応
援勢は意気軒昂。然し突然動きが変わり早稲田が優勢となり、前半終了。
チアガールが登場して、目を楽しませてくれる。早稲女も変わったものだ。
後半はエースの藤田の活躍もあり、37-24で勝利。 気分よく秩父宮ラグ
ビー場を後にした。
祝勝会は吉祥寺の「ひょうたんなべ」。諸江さん、秋本澄子さんも加わり、
おでんをつつきながら賑やかに 2014年の「応援する会」の締めを行なった。 (德田直子 記)
参加者 秋本光男、秋本澄子、小倉卓雄、片岡冬里、上條節夫、川崎大八、
東出重幸、諸江昭雄、佐川素子、德田直子、布施雅男(三鷹)、
今年の「応援する会」は近隣稲門会(三鷹、練馬)からの参加もあり、盛会
だった。来年からは祝勝会の店なども検討し女性や、若い人の参加を促すよう
にしてゆきたい。
(部会長 川崎大八)
11月2日(日)に僅差で早稲田が慶應に勝った時、神宮球場の席で「明日勝てば早稲田が優勝だから明日も応援に来よう」と思って帰宅したところ、秋本先輩から「明日どうするの」というお尋ねのメールが来ていた。急遽 皆で応援しよう、と思い立ち何人かの「もっと早稲田を応援する会」の会員に連絡した。
当日は優勝が決まる早慶戦だから集合時間をいつもより30分繰り上げ11時にして、神宮球場に向かった。今回は秋本さん、上條さん、久しぶりに庄司さんが同級生と一緒に参加され、私を含め、4名となった。試合前に早慶賛歌を合唱。なぜか早稲田の応援部員が、慶応の席に行って「早稲田を倒せ」を指導している。気に入らない。試合は僅少差で早稲田が負け、優勝を逃した。 しかし、今年の早稲田は春も秋も優勝に絡んだ早慶戦で、春秋連続二位というのは強くなければ出来ないことだ。選手は茂木三塁手の緩慢なプレーが気になったが、有原投手、中村内野手のプロでの活躍が期待できる。岡村監督も4年間学生をよく指導した。
「わが早稲田 一球入魂 天高し」
吉祥寺に戻って「ひょうたん鍋」で3日の残念会と2日の祝勝会を行なった。稲門の先輩たちの個性豊かな楽しい話で予定の二時間はあっという間に過ぎて夜遅く散会した。
(川崎大八 記)
出席者 庄司駿一 秋本光雄 上條節夫 川崎大八
鈴木(練馬稲門会)
第83回:今年も春の早慶レガッタの応援で墨田川へ
今年も例年通り4月第2日曜日「早慶レガッタ」を応援すべく隅田川に向かった。このところ負け続けており、応援するものとして押し太鼓を打つ気分で、橋の上から武蔵野稲門会の旗を押し立ててクルーを待った。
競漕待つ静けさや春鷗
結果は準優勝。記念撮影をして吾妻橋の懇親会場へ向かう。
吾妻橋渡れば色街朧月
会場はアサヒビール本社のゲストルーム。立川稲門会の岡田さんのご協力による。22 階からの眺めは素晴らしく、新鮮なビール、料理の美味しさを倍加した。
懇親会は片岡さんの司会で進行し、和気あいあい。諸江さんの指揮で校歌斉唱してお開きとなった。今回は三水会と共同企画で、近隣稲門会やレガッタ稲門会にも呼び掛けて参加者は例年になく多く、大成功であった。
(川崎大八 記)
春の早慶戦を学生席で応援 2013年6月1日(土)
武蔵野稲門会 もっと早稲田を応援する会として恒例の春の早慶戦を応援した。今回は趣向を変えて学生席から学生と一体となって応援することした。優勝を賭けた対戦でないので切符が手に入り易いであろうと思ったからだ。幸い応援部OBの石田明人さんを当会の諸江先輩がご存じなので8名分の予約をお願いした。
当日は快晴。球場は3万人近くの観衆で優勝のかかった前週の法政明治戦より多くさすが早慶戦の感を深くした。応援グッズを用意し学生と共に校歌応援歌を歌い拍手するのは楽しいものだった。試合は早稲田の打棒おおいに振るった。法政戦連敗したときベンチの上から「早慶戦頑張れ」と叱咤したのが効いたのかもしれない。紺碧の空は早稲田が得点するたびに肩組んで歌うから8回歌ったことになる。光る青雲、天に二つの日あるなしなど知っている歌と共に歌えない歌がいくつかあった。今度大学で歌集を買おうと思った。
試合に勝ったときの応援は手ごろな運動で健康に宜しいものと認識した。今春は優勝できなかったが早慶戦での勝利は格別で一同満足な気持ちで信濃町の万次郎に向かい春秋会の方々と一緒に懇親会をした。そこで思わぬ先輩と出会い楽しい会合となった。そして翌日職場でも早稲田が勝ちましたねと声をかけられ最高の気分だった。しかし、次に待っていたのは新人戦で東大に1-4で完敗という知らせだった。
(川崎大八 記)
参加者:上条節夫 梶塚謙 片岡冬里 中山美代子 山内巌 諸江昭雄 角田正三 川崎大八
第82回:今年も春の早慶レガッタの応援で墨田川へ
2013年4月21日(日)
早稲田をもっと応援する会としては春の早慶レガッタ応援で心掛けていることが三つある。
第一に桜橋付近で武蔵野稲門会の幡をたてて応援する。第二に浅草界隈を散策する。そして浅草ならではの店で祝勝会(=惜しくも負けた場合は準優勝会)をする(今年は中央稲門会台東稲門会合同の厚意で席に加えてもらった)である。
ことしはそのどれもが予定通りで遂行した。今年から競漕距離が500メートル伸びて浜町から15時30分スタートだから大体それに間に合うように井の頭線―浅草線経由でゴールの桜橋に陣取り幡を掲げた。小雨模様なので全体の参加者は例年よりはさびしかったが武蔵野は違った。11名と昨年よりも参加者が3名増えた。でレースはと前方を見ると一艘しか見えない。?。しばらくして後ろのほうからもう一艘見えてきた。7挺身差の早稲田の歴史的大敗である。勝敗は時の運と言えるようなレースではなかった。でも学生は一生懸命だった。
気を取り直して予約してある桜料理の中江に向かった。途中は台東稲門会の方が先導してくれた。昔大川から大門に向って猪牙舟が通った川を埋め立てた公園を散策しながら往時の人はどんな気持ちでこの場所にきたかと思いを馳せた。見返り柳の前に着くと間口よりも奥行きのある中江があり蒲田行進曲に出てくるような階段に上がっての懇親会では珍しい料理が出てきた。 我々は初めは固まって行儀よく食していたが途中、稲門出身の中江の主人がサービスしますと挨拶があったあたりから地元の中央稲門会、台東稲門会の方々と我々が入り混じって飲むような席になった。店が用意した料理がもうありませんといわれてしばらくしたころお開きになり店を出た。店の言うようにたしかに切りがなかった。そこからかつての遊郭跡を台東稲門会の方のガイドで見学した。早稲田の卒業生たちの小説にも出てくる歴史ある場所を確認した。
今回地理に疎い我々をガイドしてくださった中央稲門会、台東稲門会の方々にお礼を申し上げます。
(川崎大八 記)
参加者:轟常弥 谷内隆衛 町田顕 山内巌 吉井滋 諸江昭雄 梶塚謙 小島(練馬稲門会) 小美濃隆 上条節夫 川崎大八
2013年1月2日 箱根駅伝 応援レポート
武蔵野稲門会 もっと早稲田を応援する会 権太坂で箱根駅伝を応援
今年も正月2日箱根駅伝を2区権太坂で応援した。正式には東京箱根間往復大学駅伝競走というのだそうだ。朝、7時に吉祥寺駅改札口に諸江さんと待ち合わせてJRで中央線で新宿駅でスカイライナーに乗り換えて横浜経由で保土ヶ谷に約1時間10分で着いた。駅前にはTVでスタートした駅伝の様子を流しており通行人が立ち止まってみていた。我々は早稲田の人たちが集合する権太坂の頂上をを目指した。現場では早稲田大学校友会の春秋会の人たちが忙しそうに準備していた。去年は同じ場所で武蔵野稲門会の旗が目立たなかったので目立つようにチョット先に進んでNTVのカメラの近くの交差点で掲げることにした。諸江さんは早稲田大学の旗、私は武蔵野稲門会の旗を周囲の神奈川大、日本大の校友会の大きな旗に負けない気持ちで掲げた。小1時間も経つとヘリコプターの音が近づきいよいよ早稲田を応援すべく選手をまつ。どうも1区が出雲1位の青山と同じく出遅れているようだ。警察の先導車がこれから選手が来ますと知らせてくれる。他大学がすごいスピードで行き、第三集団に見覚えのある早稲田の平賀翔太君が先頭を走ってきた。頑張れ早稲田、平賀翔太と声をかける間もなく走りすぎて行った。後続の集団もほどなく走りすぎた。早稲田はこのままで終わるはずがないと期待して旗を片づけた。途中、武蔵野稲門会の秋本さんから往路早稲田が2位でゴールした早稲田頑張りを賞賛した電話があった。
(川崎大八 記)
「箱根駅伝を応援」 2012年1月3日
早稲田を応援する会を最近「もっと応援する会にした」。
新春恒例の箱根駅伝を応援した。早稲田の春秋会の会員である諸江さんのお力添えで花の2区の権太坂で早稲田を力いっぱい応援した。武蔵野稲門会の旗を立てた。朝7時半に諸江さんと吉祥寺駅に待ち合わせて新宿から湘南スカイライナーで保土ヶ谷で下車した。駅前では駅伝のムードいっぱいで道路には各大学の旗がすでに幾重にも立てられていた。駅前で甘酒を受け、途中、駅伝のファンと行きかうたびにあいさつを交わす(登山のようだ)。
権太坂の応援席では早稲田の法被をした人が旗を立てている最中。朝4時に長野からきた人がいた。われわれも武蔵野稲門会の旗を立てた(TVには映らなかったようだ)。花の2区のランナーは平賀君(佐久長聖)。ヘリコプターの音が聞こえてきたので選手が近づいてきたことが分かった。紺碧の空と校歌を歌う間もなく平賀君たちが現れた。スゴイスピード。あっという間に通り過ぎて行った。ちょっと表情が苦しそうだった。次々に現れる選手の表情は様ざまだが懸命な姿を目の当たりにすると早稲田に限らずどの選手を応援したくなる。やはりTVで見るのとは全然違う。
スポーツは駅伝に限らずドラマがあり感動を与える力がある。応援する者にも校友との新たな出会いもある。早稲田を応援することは私にとって大きな意義がある。
今後の予定は、4月の早慶戦レガッタ(隅田川)、春、秋の神宮の早慶戦(野球)、11月23日ラグビー早慶戦(秩父宮)12月早明戦(国立)である。野球が今年は強そうなので楽しみだ。
(川崎大八 記)
ラグビー早明戦を国立競技場で応援 2012年12月2日(日)
午後2時試合開始ですので、12時半に吉祥寺駅 中央・総武線各駅停車〈千葉・東西線方面〉ホーム(2番線)三鷹寄り集合です。
1部は国立競技場で観戦。2部は早明戦後吉祥寺ビアホールで部会を開きます。1部のみあるいは2部のみの参加でも歓迎します。
皆様ふるってご参加ください。ちなみに、斎藤祐樹主将の50年ぶり早慶優勝決定戦のときは、2部のみの参加者が多かった歴史があります。
(川崎大八 記)